身体機能改善トレーナーになったわけ
みなさん、こんにちは!
身体機能改善トレーナーのめぐみです(^ ^)
今日は、なぜ理学療法士の私がトレーナーとして活動しようと思ったのかをみなさんにお話したいと思います。
私は、以前は埼玉にあるリハビリ専門の病院に務めてました。
出身は福島ですが、関東に就職したのも、こっちの方が勉強会に参加しやすいと思ったからです。情報を得やすいし、高めていこうと思ってたのですね、当時のわたしは。
そして就職して思ったことは、「なんだこの病院は??」でした。
外から見た景色と、実際に中から見る景色にギャップを感じました。
リハ科の皆さんは優しいです。リハビリ職に就いているひとは基本優しいですよ、でないとやっていけない仕事だと思います。
でも、自分が求めているものとは違ったのです。
同期に勉強会一緒に行こうと誘ってみても、「まだいいかな」って熱量違かったし、
先輩も皆さん優しいけど、尊敬できるかは別で。。。
モヤモヤな日々を送ってました。
そんなときに、たまたまTwitterで見かけた勉強会。座学よりも実践的で実技メインで勉強したかったわたしにピッタリかなって思ったのです。
週一・平日夜2時間・月謝3万円。
当時の私には、その金額は正直高かったです。(今思うとすごく安い!そのくらいの価値あり)1ヶ月受けてみて合わなかったら辞めようと思って参加しました。
勉強会に通い始めてみると、とても内容が良かったのです。
元々カラダの使い方が下手で、学生の時も散々先生にダメだしをされまくり、実技試験落とされまくりだったわたしは、本当にカラダの感覚が鈍かったことが分かりました。
実技ではモデル役を率先してやり、実際に体験することで、どんどん感覚が入り、自分のカラダを認識できるようになりました。
えっ?これが正しい筋肉の使い方なの?ってことがいっぱい(笑)
そこで学んだことを常に意識しつつ、自分のカラダと向い合いました。
ほんとね、よく今まで怪我・病気になってなかったね、、、ってレベルなくらい、カラダが悪かったです。
今もまだ硬いところいっぱいあるし、使えていないところいっぱいあるんですけど、
それでも、以前とわたしとは比べものにならないくらいカラダが軽く感覚も鋭くなりました。
その後、病院を辞めて、東京に拠点を移し、訪問リハで働き始めました。
病院とは全然違う雰囲気でした。お家に伺い、その方の生活をみて、今後どうしていくかを考えながらリハビリを提供するのが仕事です。
病院では入院期間が決まっているので、その間に機能回復を目指し、お家に帰るのがゴールだと思ってやっていました。
でも、訪問はそのゴールの先、どんなふうに生活していくか?
どこまで家で暮らして行けるか?
家族との関係性はどうか?介護者の負担はどうか?
どこまで家族は病気を理解しているのか?最後をどうするかまでを考えられているのか?
などなど、、、
を踏まえてプランを立て実施していきます。関わる期間も病院の時より長い方がほとんどです。
週1回・1時間しか関わることはありませんが、長い期間関わるし、病院の時よりも、その方の人生についてお話を伺うことができたり、学ばせてもらうことがたくさんありました。
あぁ、自分もいつかはこうなっていくんだなぁ。
わたしは、たくさんの人生の先輩と関わらせてもらっているし、普通の人よりは病気のことを勉強しています。(理学療法は病気のリスクを知らないとできませんからね。)
だから、
その人の姿勢を見れば、食生活・生活習慣を聞けば、どんな病気になる可能性があるか分かるのです。
でも、みんな若いうち・健康なうちは気づかないのです。
みなさんも、なんかちょっと不調が出てきて、初めて気にし始めませんか?
怪我・病気になって初めて、健康で暮らせてたことがいかにありがたいことだったのかを知ることが多い気がします。
そして、もっとあの時ににあれをしてれば良かったなぁと後悔するのではないでしょうか?
わたしだって頭では分かっているけど、やっぱり実感はないです。。
でも、実際に高齢者と関わってきたからこそ分かること理学療法士だからこそ分かることそして、自分自身が体感したからこそ伝えられることがあると想っています。
なんかちょっとカラダが痛いな、、、
疲れが取れにくくなってダルいな、、、
そんなちょっとした不調やカラダの変化が出てきたと感じる方に
健康って大切、健康って投資だよねって考える方に
わたしだからこそ提供できるものがあると想ってます。
わたしはわたしにできることを。
それで社会に微力ながら貢献できればと想います。
これが、わたしが開業しようと思った理由です。
最後までお読み頂きありがとうございます。
grow up~成長し続ける~
0コメント